灯台かもめ -livingston-

くだらないヒラメキをいつまでも大事にしてきたいもんだ

町全体がリビングルーム

 

横浜旅の話題を引きずってるこの頃だけど

南池袋公園で出会った「nestマルシェ」、あれよかったなぁ。案内してくれたコンサドーレファンの千葉の嬢ちゃんも面白かった。

 

野に出て気分転換

町全体がリビングルーム

 

インテリア凝るのもいいけど、そもそも北欧は寒くて家に籠らなきゃならん期間が長いって環境があったから、お家の中で快適に過ごす術が発達してったわけで。
雪ふる地方以外は冬の寒さなんてタカが知れてる日本じゃ、お外の楽しみも北欧よりたくさんあると思う。

 

もちろん価値観が多様化してる時代だから、寒さ関係なくインテリアするのはむしろいいことだと思うけど、それはどっちかってと後からやってきた後輩なわけで。

 

武家屋敷とか大商家とか庄屋さんでもない限り、昔はみんな長屋とかに住んでたんだし、
リラックスするのは家の外の景色だの井戸端だのを自然と使ってたんだし。

 

もっと古くて平安時代の貴族たちもそうしてたわけだから、「お花見」がある。「町全体がリビングルーム」は、実は国土的にはすごく自然でストレートなものなのかもね。

 

ああいうのはいいなぁ。もっと広がってくれたらいいな。
北海道は夏が短いから厳しいかもしれないけど、道民にもピクニックがもっともっと身近になればいいのに。

 

 


こういうことに出会える旅ってやっぱいいな。価値観に刺激をくれる。

 

刺激の正体は情報の差違。

刺激の強さ=差違の大きさを生み出すには、

「こんなの知らない」「いつものと違う」

って差違を生み出すためのベースが必要。

 

ベースは何によって作られる?

ベース=定着していて、習慣化していて、無意識での当たり前のものにするためには、何が必要か?
情報に接する頻度かな。
情報に接しているトータルの時間かな。
その情報を感情が受け入れることかな。

 

あれ、これ認知神経リハと同じじゃない?

やっべなんか楽しくなってきた。

 

認知神経リハでは、治療効果を行為に昇華させるには、異常になる以前の正常な運動パターンとの比較・検証を自身の中で行えるように導くが大事だって言ってた。

正常な運動パターンを思い出させるには、運動パターンに伴う言語的記憶だけじゃなくて、非言語的記憶・情動・感覚なんかがすごく大事って話だったかな。

 

「足の指の間になんかが触ってる感じ」

じゃなくて、

「友達といった海で、砂の上を裸足で歩くと暑いからってみんなで足を砂に突っ込んで、変な歩き方してて面白かったな。あの砂浜に足を突っ込んだ時の、足の指の間のスルスルもわっとした感じに似てる」

みたいな。

 

似たような話をついさっき読んだ。

村上慧さんの著書「家をせおって歩いた」に書いてあった、「土地とダンスする」ってこと。

 

 

あれ?なんのこと考えてたんだっけ?

 

そうそう、nestマルシェよかったってこと。

秋になったら旦那誘ってピクニック行こ!